再 手 術 その後の経過1 経過2へ 

3月4日(日) 緊急再手術

 夜中から、トイレへ何度かたった。朝方、大量の水便が出た。
 しばらく経って、朝、6:00。身体が震えて止まらない。あまりの状態に自分でもびっくりして、何とか隣の方に看護婦さんを呼んでもらう。看護婦さんは、「熱があがりきらずにいるための震えなのでとにかく暖めましょう」といって、毛布をたくさん持ってきてくれる。しかし、収まるどころかどんどん症状はひどくなる。どこが痛いとかいうのではなく、全身に震えがきており、今にも舌を噛みそうだ。じっとこらえて、深呼吸や震えを止めてみる努力をいろいろしてみたが全然だめ。「これはただ事ではない」という感じが自分でもわかる。このまま死んでしまうのではないかと思った。もう口をきくことさえできない感じである。とにかく看護婦に何とか医師を呼んでもらわなければならないと思い、隣の方にようやく看護婦を呼んでもらった。看護婦の「どうですか?様子は」の問いに、「とにかくM先生を呼んでください。」と,か細く震えを一瞬止める感じで何とか頑張って言った。「日曜日ですので、自宅の方へ、今連絡をとってみますが・・・。少し待てますか?」。私は「無言」・・・。時計をみたら20分経っている。2時間ぐらいに感じた。それでもまだ先生は来ない。
 《時計の針をよく覚えていないので、あとのことは、おおよそのところで書く。》
 多分1時間位してからだろうか、やっとM先生が登場してくれた。自宅から駆けつけてくれたのである。「だめだなこれは、すぐ手術しますね。奥さんは来ていますか?」「いいえ、今日来ることになっていますが多分午後からだろうと思います」「では、どなたか身内の方は?」「連絡先に書いてありますが、妹に連絡してください。病院から1時間くらいのところなので妻より早いと思います」 手術の同意書だった。
 かなり危なかったらしい。妻にも連絡がついて、妹が先につくということで妹に同意書に印をついてもらった。
 後でわかったことだが、縫合した「肛門と直腸の残った部分」から、腸液や水便が漏れたのである。というよりは,縫合不全の状態で急性腹膜炎を起こしたのである。緊急手術ということで麻酔その他の処置はすべて手術室で行ったらしい。全く覚えていない。
 上行結腸(右側上部)に人工肛門を取り付けて大腸を休ませ、縫合部分が完全につながるのを待とうということであった。結局、人工肛門をつけることになってしまった。
 造設手術そのものはたいしたことではなかったらしいが、漏れた便や腸液などをきれいにして腹膜炎を防ぐためのドレーン設置など、治療のための処置部位の増設が行われ、大変だったそうだ。
 肛門部分なのか、その奥のつないだ所なのか、かなりの痛さが続いている。ベッドのまま手術室へ向かった。「緊急の時はストレチャーなど使わないようだ」と変に納得した。
 午後0時過ぎに手術室に入ったらしい。15時過ぎには終了したそうだ。先生からの説明では、肛門から見える部分は大丈夫だが、やはり縫合部分から腹部に向かって亀裂があり漏れが生じたそうだ。これからは、肺血症や感染症、肺炎等を十分気をつけなければならない。また、一時的に人工肛門をつけたが、肛門の自活筋が緩んでしまったら完全に人工肛門になるそうだ。とにかく経過をみていかなければならないと・・・。
 合併症が結局起こってしまった訳である。手術直後の4日間くらいのこの時期には便は出ないはずなのに出たということは、第一回目の手術の時にまだ腸液や便が残っていたということらしい。でも、この後、7が月間、縫合部分が着かなかったことを考えると、例え、この時点で大きな漏れがなかったとしても、後で大変になっていたことは明白だった。すぐ手術をして人工肛門を仮設したことは,かえって良かったかもしれない。手術時間は結構長かったとか。

3月5日(月)
 39度以上の熱が続く。昨日は、夜に3回吐いてしまった。ICUで寝ていたが、突如吐き気が襲ってきて、看護婦に連絡する間もなく、吐き続けた。看護婦がその様子を見つけてとんできてくれたが、すでに遅し。吐いたものは点滴液がほとんどだったが、大量だった。よくこんなに点滴液が身体に入っていたもんだと、びっくりした。掃除が大変のようだったが、いやな顔ひとつ見せずに手際よく処理してくれた。ベッドの上で自分でも何か協力しようとでも思ったのか、その動きを見て看護婦さんが「何もしないで寝ていてくださいね」と言ってくれた。夜、妻が来てくれたのに、ろくにしゃべれもせずに時がすぎた。身体中に火がついたようにかなり苦しい。

3月6日(火)

 ICUからリカバリー室に移った。まだ、まったく水も飲めないが、口を濯ぐのにウーロン茶を買ってきてもらった。M先生の話では、だいぶ落ちついてはきたが、肺血症と感染症には今後も気をつけなければならないとか。鼻からの管は経過がよければ明日には取れるとか。
 肺血症を防ぐためにできるだけ身体の上半身をを起こすようにしたが、とってもつらい状況だった。また、ほとんど毎日のように撮影する肺のレントゲン(寝たまま身体の下にフィルムと台を置く。)撮影は本当にしんどい。小型の移動式レントゲン放射装置を持ってきて技師が病室で撮影するのだが、フィルムを身体の下にいれることさえ大変な動作であった。高齢者で寝たきりの方など大変だなーとつくづく想った。

3月7日(水)
 「回診の時も口が渇いて全然しゃべれない」ことを訴えると、M先生は「氷」がよいかもしれないということで、氷を口に含むことを許可された。この時ばかりは、天国に行った気分であった。熱は相変わらず40度近くありまだまだ高い。昼夜関係なく,夢ばかり見る。現実でない食べ物の夢が多い。いかに大食家であったかがよくわかる。
 後で妻がその時の様子を「何を言っているのかよくわからなかった・・・」と・・・。意識がモウロウとしていたのだろう。

3月8日(木)
 薬が効いてぐっすり寝たようだ。ひさびさになんの夢も見なかった。夜中、鼻の管を無意識に自分でひっぱて取ってしまったらしい。何となく覚えている。今日は、何とか起き上がってベッドの上でヒゲを剃り(不思議なもので、こういう時はヒゲの成長が遅い。気のせいか?)看護婦さんに頭を洗ってもらった。身体も拭いてもらったので気持ちがいい!さっぱりした。介護されるってこういうことなんだなーって思った。普通の生活をさせていただくことがこんなにもうれしいことなのだ。新聞も読んだ。でも、熱は相変わらず高い。口の渇きは少し良くなってきた。M先生から妻に話があった。術語、3〜4日で物が食べれるといったが、相変わらず熱が高く、腸液も鼻の管からまだ出てくる(ストマから少しは出てきているが)ので、もうしばらくは今と同じ治療を続けるとのこと。この熱が、肛門の筋肉からのものだとすると、完全に人工肛門になるそうだ。(このことは、後で知った。)
 CT検査からの結果では、感染症等はみられず、肺の方も大丈夫だそうだ。ただ、まだ油断できないとのこと。糖尿の方の経過が悪く、そちらの薬を増やすと、腸の方が悪くなり、腸の方の治療を重にすると血糖値が上がるらしい。この二つの治療・病気が相反するので難しいそうだ。それにしても、「病は気から」。気持ちが落ち込むと病気も悪化するそうだ。
 腰の痛みや肛門の周りの痛みがひどいので痛み止め注射をしていただくことになった。
 今後のことについて、最悪の亊を考えて妻に相談した。

3月9日(金)
 今日は、今までで一番症状が落ちついている。朝も、2時間ほどベッドの上に(もちろん、直座りは痛いので正座した形での尻浮かし型)座っていた。鼻の管からの腸液の出も大分少なくなってきたようだ。
 腹には、3本の管が刺さっている。1本は骨盤内に貯まった液の吸い出し用。あとの2本は、何かあった場合の緊急用。ストマからの便は緑色で水分がほとんど。ゼリー状に固める紙を入れている。新生児の便のようだったと,
後で妻が印象を話してくれた。
 熱は、36.7℃。なんとか薬で下がっている。

3月10日(土) 2回目の手術から1週間
 今日は、初めて立つ練習。足がすっかり細くなってしまった。全く立てない。自分の足でないようだ。二人の看護婦さんに両脇を抱えてもらって立とうとしたが、地球が回ってその場に倒れ込む感じだった。足も床についている感じは全くしない。マヒしている感じだった。「気長に少しずつ練習しましょう」と看護婦さんが言ってくれた。
 何日か寝たっきりだっただけでこんなになってしますなんて・・・、看護や介護で高齢者の方などが大変な思いをしていることを,まさに自分の身体で実感した。
 「健常者からの“思い”というのは、ほとんどが同情心の或は出ないんだ。」とつくづく思った。びっしょり汗をかいて下着を取り換えてもらった。
 すこし、咳が付いてきた。

3月11日(日)
 腕の方は何とか筋力の落ち方が少なかったので、腕で起き上がる練習を何度も自分の力で行った。しかし、すぐに気分が悪くなる。完全に自律神経というか三半規管というか、横になった状態にデフォルトされてしまっている。

3月12日(月)
 鼻の管からの腸液もほとんど出なくなってきて、ストマから出るようになってきたので鼻の管がはずされた。人間って,本当に精巧な機械なんだと思った。
 今日から、水分をとれるとのこと。明日から食事ができる! やはり、血糖値安定のためには食べ物が一番だそうだ。それでも、今後,血糖値が落ちつかなければ次の手術もできないそうだ。
 明日、上司とM先生との話をもつそうだ。

    経過2 退院に向けて へ続く    

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