直腸ガン宣告

経過: 昭和25年生。昭和53年結婚、子供2人

    ※ 既往症:糖尿(血糖値高め、多食傾向あり 体重:83kg 身長:174cm)
      父〜胃ガンから多臓器不全で2年前他界。母〜糖尿病合併症によると思われる筋膜炎等のため歩行困難で長期療養に1年あまり前から入っている。

・ 平成13年1月31日朝、排便時に下痢とかなりの下血があった。もともと、幼
 少から腸が弱かったので、よく父にゲンノショウコを飲まされて育った。胃は丈
 夫であったが、腸は自信がない。
  これまでに、痔ではないかと思ったのは、思い返すとかなり以前であった。気
 にするほどのことでもないと放置していた。昨年の10月ぐらいから、出血が頻繁
 になった。いずれは痔の治療に行かなければと思い始めた。年が明けてから行こ
 うかと思いながらも積極的に病院を訪ねる勇気が起きなかった。
  この日にはけっこうな出血があったことで、これは薄々予想していた大腸ガン
 の可能性があると思い、とりあえず肛門科の受診を決めた。
・ 上司に、「ちょっと大変な病気かもしれないので、この年度末の忙しくなる時期
 に申し訳ないが、肛門科に行って詳しく診察を受けたい」旨を相談し、すぐに病
 院へ直行した。朝一番ということも、その後の大きい病院への転院受診も想定し
 た結果であった。いろいろ調べたり聞いたりしていたので、なかなかの評判の病
 院と思われる「○○肛門科」を受診した。
 母の入院先にも近かったことが頭をよぎっていた。
・ 内視鏡検査の結果、要精密検査と診断された。すぐに大きい病院を受診した方が
 良いと言われたのでおもわず、「癌ですか?」と聞いた。「それは精密検査をし
 てみなければ何とも言えませんが、入り口付近の写真を4枚とってみた結果は思わ
 しくないようです。カメラも入り口くらいしか入りませんでした。」とおっ
 しゃったので、「どこか病院を紹介してください」とお願いした。先生は「居住
 地から近いところがよいですか?」とおっしゃったので「いいえ、一番良い病院
 を紹介してください」と言った。先生は「では、○○○病院が一番です。すぐに
 行かれますか?」と言ってくださったので「はい」と応えた。先生は、直に看護
 婦に受付の時間を調べさせて、午後の受付に間に合うとのことであったので直ち
 に○○○病院に向かった。上司には、電話でその旨を伝えた。紹介状を持って病
 院の新患受付に行った。いろいろ問診票に応えながら必要事項を記入した。「消
 化器内科を受診してください」と言われた。
  結構大きな病院で、清潔感あふれる感じがまるでホテルのようであった。患者
 さんも多く、どの科もびっちりの様であった。何が何だか分からないまま、消化
 器内科のブロックへ向かった。座る場所が無いくらい患者さんであふれていた。
  自分の番号が呼ばれるまではかなり時間があることは容易に想像できた。次の
 番号に変わるのにもややしばらくかかっている。この調子では何時になることや
 ら。「大病院はこれだからいやなんだよなあ〜」と独り言を心でつぶやきながら
 待った。 呼ばれたのは、すでに4時を回っていた。診察室へ入ると、先生が紹介
 状と4枚の写真を見ながらおっしゃった。「肛門科○○先生のみたてはしっかり
 していて信頼がおけます。9分9厘、直腸ガンです。」と言われた。「へえー、今
 の時代はガン宣告を本人にはっきりと言うんだ・・・」と、変に感心した。「先
 生、直に手術でしょうか?」と聞いた。先生は「良く検査してみたからでないと
 はっきりとは申せませんが、手術をして直腸の癌巣を取り除いてしまわなければ
 なりません。どのくらい取ることになるかも検査次第です。」とおっしゃったの
 で、間髪を入れずに聞いた「直に入院でしょうか、また直腸を取ったら人工肛門
 でしょうか」とこれから先のことを聞いてしまった。「そういう場合もあります
 が、今はなんとも言えません。入院は順番待ちで、今かなり混んでいます。いつ
 から入院ということは即答できませんが、緊急ですのでなるべく早くベッドが空
 くようにいたします。後日、連絡しますのでお待ちください」とさとすようにお
 っしゃった。
・ 時間的には、15分くらいの問診だった。 結局直診も特段の検査も一切無く、
 お話を聞いただけで帰宅することとなった。「癌」と言われたことはある程度予
 想をしていたのでショックという感じではなかった。ただ、 職場のことや、特に
 妻にどのように切り出したらいいかの方が心配というか困ってしまった。
  妻がショックを受けるだろうなあと思った。職場には、すぐに連絡した。「大
 変なことなので、まずは身体のことを第一にして対応して欲しい」とおっしゃっ
 てくれた。また、暖かく励ましの言葉もいただいた。自分の持っていた業務関係
 の整理など、その他いろいろな亊があり、私の業務を替わってもらうお願いする
 にしても考えただけで気が遠くなるくらいであった。
・ さすがに、かなりショックを受けることになる妻に何て言おうか。
 他人にならいくらでも言えることでも、いざ一番心配してくれている妻には一番
 言いづらい。不思議なものだ。
  自宅に帰ってから、何気ない世間話をしてから、話を切り出した。
 妻は、はじめ半信半疑のような顔で聞いていたが、何やらとんでもないことが起
 きた感じで、本当の話が今展開しているらしい雰囲気というか、大変なことが起
 きたという受け止め方をしはじめるのにそう時間はかからなかった。やはりかな
 りのショックを与えてしまった。 
  明日からは、職場を休んで、とにかく身辺整理と入院の用意をして、いつでも
 ベッドが空いた時点での病院からの連絡で直入院できるように準備をはじめると
 言った。
  次の日、妻と一緒に単身赴任先の職場へ向かった。出勤して、上司に詳しく報
 告し、入院する旨を話した。
・ 1月31日に宣告を受けてから入院する2月6日までの1週間の「日めくりカレ
 ンダー」はあっという間にすぎていった。膨大な自分の業務も、しかたないので
 そっくりそのままお願いした。日ごろから何が起きてもきちんとしておくべきで
 ある。自分以外の方が替わって処理していただけるにしても、自分しか解らない
 ことがけっこうあり、だらしない自分をつくづく反省し、また本当に申し訳ない
 と思い続けた1週間だった。

  結果、2月5日から長欠(2月6日入院)に入るに至った。

       入院その1につづく    

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