入院その4へ 

2月16日(金)曇り時々晴れ、午後から久々の雪。
今日はあたたかいのでは?
 朝6時からニフレックを2時間で2リットル飲む。便観察は7時、9時、10時、12時、とあるが、もうすでに下痢状態なので2回目にはきれいになった。(これは後で分かったことだが、実は便が残っていた。腸というのは、食べ物をとらなくても腸液が出ており、これがまた厄介な者らしい)でも、全部飲んじまったので何回かトイレへ通うようだ。ニフレックはあまり美味しいものではない。すこし塩分がついている感じで、冷たく冷やしてあるから飲めるけど、温かったら全く飲めたものではないと思う。12時からは入浴なので11時50分に点滴をはずしてもらった。今日は風呂場は貸し切りであった。その後も、点滴をはずした開放感をしばし味わってから、午後1時30分頃、点滴をつけてもらった。B先生や主治医のA先生、主任看護婦らが気遣ってくれているのだろう代わる代わる何回か来てくれて心配なことはないかどうか聞いてくれた。身体はいたって元気であり、点滴につながれたりトイレへ行く以外は健常者そのもの。来週はうんと暇で、たぶん手術は再来週。前週の水曜日に次週の手術予定発表があるそうだ。
 午後4時頃、検査に呼ばれていった。一階内視鏡室。一昨日胃カメラを飲んだところなので多少慣れた感じがした。また尻空きパンツに履き替えて待機。下部内視鏡なので胃カメラよりは数倍楽と思いこんでいる。実際楽であった。もちろん空気の送り込みもあるので苦しいときも若干あるが。最初は横向きであったのでカメラは見れないのだろうなと思ったが、途中から上向きになったので先生の説明やこちらからの質問などを交えながらテレビを見ながらの一時であった。話には聞いていたが、腸内というのは本当にきれいなものだ。これが自分の腹の中か、と思うと感動ものだ。やはり、肛門のすぐ近くに、腸壁が厚くなった若干異様な色の状態のガンを確認した。3〜4cm位か。あらためて、人工肛門で終えられそうなことで不幸中の幸いと受け止めるべきと思った。本当に転移がないのかな、と思えるほど大きい。肩のチューブから痛み止めを注入した。若干目眩がするとのことだった。終わってからもかえってそちらの方が辛かった感じがする。車椅子で部屋に戻るのはそういう理由があるのだなあと思った。それでも少し横になっていたら直ってきた。ガスがなかなか抜けないので何回かトイレに行った。あとは、膵臓検査があるだけで検査終了か。膵臓検査は、19日の6時の尿険と畜尿による検査だそうだ。人工肛門の取扱は早いほうがよいと思い、主任看護婦に話をした。人工肛門専門の看護婦が今東京の学会に行っているので、帰ってき次第すぐに対応するとのことであった。手術してからよりはよいと思って聞いてみた。
 向かいのNさんは本当に気さくな愉快な方で、人柄がにじみ出る人だ。いろいろな話に花が咲いていく。神経も細かい方で性格は明るく面倒見も良さそうでしかも信念がある方である。

2月17日(土)晴れ また自宅方面は大雪か
 5時頃目が覚めた。血糖値241 体重76,2†L 暇な一日のスタートである。看護婦さんは私の病棟ナースステーションだけで28名いるそうだ。だいぶ名前は覚えたがそんなにいたのかと思った。
 向かいのNさんは失業中で、20日からあたらしい会社に就職だったそうだ。19日には挨拶に行きたいとかで、外出したい旨を看護婦さんに話していた。失業保険や、新しい会社への就職手当など結構大変らしい。とにかくコミュニケーションは多く取れる方だ。
 夕方、妹が来た。経過などを話した。家中で風邪をひいているらしい。「栄養とっているのか」と、言っておいたが、どんなことになっているやら。
 実家(おやじが亡くなってすぐに母が入院となりほとんど留守宅状態)のことは、弟に連絡をとって様子を見るなりしてくれと言った。その後、妻が来てくれた。

2月18日(日)曇り、時々晴れ
 夜中はやはり2時過ぎに目が覚めた。今日は、寝汗をかいた。下着を着替えてトイレへ行った。それ以降はいつの間にか寝付いた。売店休業日なので9時までは新聞がない。こういう入院生活になるとやはり楽しみは外部との情報収集。新聞かテレビだが、新聞はテレビに比べて情報量は大きい。入院したときに購読注文も考えたけれどそれほどのことはない(入院が長引くとは思わなかった)と止めた。また、日替わりで新聞社を替えるのも一興である。向かいのNさんと読み終わった新聞を交換した。今日、上司のW氏と母親宛に手紙を書いた。
 今週は検査がない状態で待機になるようなので、午前中2時間ほどの外出許可をもらって気晴らしをしたい旨申し出てみた。看護婦さんは、「食事無しで、もう10日以上経っているので、どなたも10日目位からイライラがピークに達するようです。むしろ気晴らしに外出を進めています」とのことであった。どうせ、食べれもしない外出だから、本屋くらいのとこなんだろうけれど。
 午後、妻が来てくれた。いろいろな話をした。
 今日は、近所の方々が大勢でお見舞いに来てくれた。息子さんが有名私立高校に受かったと言う報告をしてくれた。これで本当にご両親の肩の荷が一つおりたのではないかと思う。夕方、娘がピアノの先生のレッスンの後に寄ってくれた。一時,レッスンぶりやコンクールのことなどに話の花が咲いた。
 娘もこれからの苦難の道を逞しく向かってほしいと思うが何せ貧血を改善方向に向かわせなければ。

2月19日(月)小雪 
久しぶりに朝から雪がちらちらと舞っている。
 12:40頃、トイレに行った。4:15、ほとんど下痢状態。6:30に検尿後、水を200ミリリットルと膵外分泌試薬PFDを飲んだ。膵臓検査である。7:30にはもう一杯、水200ミリリットルを飲んだ。この後は畜尿を12:30まで続ける。血糖値は、昨日から下がっている。今日は198であった。昨日は200だったからこの辺で落ち着いたということか。入院時の血糖値に戻った。インシュリンが35単位入っているそうだ。今日、婦長がどこかへ行っておられたのか、全室の患者と面談に回ってきた。その後、B先生が様子を聞きに来られた。特に変わったことはないと応えたが、今日は何となく頭が重い。別に熱があるわけではないが、アイスノンをもらって時折頭を冷やしている。とにかく昼というのはスーと寝れるものだ。白昼夢というか、短い時間に夢を見る。隣のEさんが外泊から帰ってきた。自宅では少しアルコールも飲んだとか。どうやら過日の内視鏡ではポリープはとらなかったらしい。22日に手術だそうだ。Nさんは何事もなければ明日退院とか。Uさんは今週いっぱいというところか。
 夜、W氏から電話があり、私宛に手紙を送ったとのこと。またいろいろ職場でハプニングが起きているらしい。

2月20日(火)
 夜は、11時10分頃目が覚めてトイレに行った。その後は例によって、真夜中のコンサート。本日のプログラムは、パバロッティーの登場、オペラガラコンサート。いつのまにか眠りについた。
 今日は、吹雪の様相を呈している。しかし、いつの間にか青空が出たりで、めまぐるしい天気。Nさんは今日退院。せっかく親しく心おきなく話す相手ができたのにと思うと、つい「もう少しいれば」と。出がけには「もう戻ってくるんじゃないよ」って言った。彼は、今日から新しい職場勤務だ。がんばれ!
 すぐに新しい方のために、ベッドの徹底的な清掃が始まった。ここはほんとうに清潔というか徹底した清潔保健管理とマニュアルに沿ったシステム及び人的ケアーを徹底して行っている。
 外出が認められたので、11:30から13:30まで、タクシー往復で書店と電気店、レコード店へ行って来た。久々に外の空気と騒音、人の群を味わってきた。食べなくてもよいということは実によい。あきらめもここまでいくと完璧!である。「お父さん、ほら、山が見えるよ」という本がほしかったので買ってきた。
 入浴が2:30からだったのでチューブとの散歩は3時間ほどの中断であった。

2月21日(水)
 血糖値208 体重76.2 体温35.7 天気慣れのような曇り
 ナースステーションの横の棚にはお雛様が飾られている。
 娘のお雛さまは出ているかな? もう大きくなってきたせいか、つい遅れてしまう。それだけ子どもも大きくなったと言うことか。
 昨日の外出は、やはり結構疲れた。ひどいものだ。この調子でいったら手術後は相当リハビリしないと歩けないぞと思った。今朝は、比較的ぐっすり寝たほうかな。本日は、MRIを撮る。昨日は、看護婦とB先生に、「過去に受けたMRIで閉所恐怖症気味になった」ことを告げた。最近は技術も発展し、そんなに時間もかからないとか。「それでもなあー?」
 看護婦さんも、外科のことや人工肛門のことなどいろいろ相談にのってくれる。B先生が来て、人工肛門については外科の見立ての上で最終判断するのでいまは何ともいえないとっしゃった。外科への移動も今日中には決定するとのこと。
 午後に主任看護婦が来ていろいろ話してくれた。明日13:00頃に外科病棟に移ることになり、外科手術の日程も今日決まるそうだ。外科へいってから担当主治医のM先生との相談で人工肛門等装具についての説明もあるとのことらしい。
 MRIは本当に昔とは様子が変わっていた。MRI室担当の看護婦さんが病棟と連絡し、精神安定剤を使うかどうか聞いていた。最終的に「どうします」というので、「使ってください」と言った。注射だったのですぐに効いてきた。ヘッドフォンをかけられて流れてきたのはなんとクラシック音楽であった。「ラッキー!」お陰で快適なMRI検査であった。少し寝てしまったのか気がついたら終わっていた。少しふらふらする。きちんと看護婦さんが車椅子でむかえに来てくれた。
 向かいの青年ともすっかり親しくなった。強い子だ。世の中にはハンディーを背負った人がたくさんいる。病名は判らないが、大変なようだ。私の職場の隣町の出身だっだ。今は、都会(?)に独りで住んでいるそうだ。肩の静脈に常時点滴しながらの仕事だそうだ。外での仕事なので、背中にリュックを背負いながらポンプによる点滴で頑張っている。負けず嫌いのしっかりした青年だ。当初は夢を求め、設計関係の会社に内定していたのが、卒業間際に入院。2ヶ月が半年、ついには1年になり、結局解雇になったそうだ。それでも世の中よくしたもので、今の会社に救ってもらったとか。話し始めるとずーと話している青年だった。
 今日は、なんだか疲れているせいか、横になるとスーと睡魔がおそってきて寝込んでしまう。その為、夜になると少し鼻が詰まった感じがしてきた。「ちょっとやばいかなあー」と、妻に買ってもらったガウンを着込んだ。夜は向かいのY君の話を十分に聞いた。彼も話しやすいのか弱々しい声ではあるが一生懸命に話している。クローン病だそうだ。それで判った。この病院にいる若い子たちのほとんどがそのクローン病であることを。1万人に一人の割合だそうだ。この病院は消化器系では優れているのだろう、遠くからも集まってくるのでクローン病患者さんは多いときで20名ほどになるそうだ。

2月22日(木)晴れ
 今朝も彼は積極的に話してくる。きちんと聞いた。
 血糖値197 下痢状態 腰が痛い。少し腰の運動にと思って腰を動かしたせいか。
 食堂へ行ってお茶を飲みながらテレビを見ていると、初老の女性が話しかけてきて「テレビもう少ししたら切り替えていいだろうか」と尋ねてきた。「どうぞ、どこでも結構です。ただかかっているところを眺めていただけですから。どのチャンネルですか?」と尋ねたところ、BSの「跳ねこんま」を過去に見逃した場面があり、観たいそうだ。「どうぞどうぞ、いまからチャンネル変えましょう」と言って変えた。その後は、その叔母さんの身の上話を延々と聞く羽目になってしまった。なんせ、4人部屋では、他の3人がおとなしく、暗いそうだ。イヤフォンも耳が痛くなるし。遠くからの患者さんだ。
 向かいの彼が、ちょっとしたことも気軽に話しかけてくる。「今日何時頃移られるんですか、寂しいですね」と言ってくれた。みんな確かにプライベートはほしいけれど寂しいんだよなあと思った。
 インシュリンの量を増やしているからではないだろうか、下痢状態や、顔の顎あたりに湿疹が出来て痒い。関係ないかもしれない。
 「明日があるさ」の現代版は「ウルフズ」が歌っている。もともとは、38年前の「坂本九ちゃん」の歌。作詞はどちらも青島幸雄さんだそうだ。いまテレビでやっていた。
 午後1時30分、外科病棟に移った。内科病棟の皆さんにお別れして外科病棟に降りた。私がまた戻ってこられる頃には、皆さんはもうすでに退院していることであろう。
 新しい居住区の同室者はFさん、Gさん、Jさんである。どなたも、術後なのかよく解らないが、こわ(つら)そうだ。病棟毎にシステムがかなり違うようだ。入浴日も違う。明日から点滴は一日2回となる。今日からインシュリンも40単位になった。主治医は、M先生。あと、I先生、Z先生、X先生の計4人であたってくれる。看護婦はいま判った段階では、M婦長、N看護婦、P看護婦さん方である。人工肛門については、明日専門職員に話してみるとのことであった。人工肛門について、いろいろ判らないことはあるが、現時点で一番気になるのは、テープにかぶれないか、元々腸が弱いので下痢状態の時はストマはどうなるのか、ガスの処理はどうなるのか、と言うことが気になっている。特に検査はないとか。ただ、肌が弱いので、あえてテープテストをしてもらうことにした。腕に三種類のテープを貼ってかぶれ方を観るというものだ。
 昨日の夜の電話では、息子が今日か明日には北海道へ帰ってきて日曜日に戻るとか。やっぱり心配で来るのだろう。7時半頃、妻が来てくれた。息子も40分頃来てくれた。息子も段々と都市化?してきている。「なんだかのバッグ」とか?よく判らないが、高そうなメーカーだ。西武で買ったのか見舞いの花を持参してくれた。花瓶がないので飾れないが。(妻も言わなくてもよい一言を息子に言っていた。)せっかく持ってきてくれたのでいただいた。息子には地元の方から情報が入ったらしい。息子も今世話になっている指揮者のC先生に話したのだろう。C先生が気を利かせてくれて息子を北海道公演に呼んでくれたらしい。C先生からも,沖縄の聖水(ガンに効く)が届いたそうだ。
ありがたいことだ。
 28日の3時からの最終面談と手術の準備物や、1日の手術のことなどを話した。それにしても妻の身体が心配だ。そのうちガタっと来なければよいが。今日も参観日の中日。大変だろうに。
 病室が移ったが、まあまあ寝られたほうかな。

2月23日(金)快晴
 今日はあたたかいぞ。案の定、部屋は上階の内科病棟よりずーと日当たりがよく暑い。28度くらいはあるだろうか。回診も頻繁にある。噂では、外科病棟は回診が多いと聞いていたのでなるほどと思った。お腹の具合を触診した。とにかく手術まで風邪をひかないようにと言われた。血糖値は167に下がった、と言うよりはインシュリンで下げたと言うべきか。点滴が無くなったときのことが心配だ。
 11時頃、KさんとDさんが来てくれた。私が入院していることがどうして分かったのか、不思議なものだ。何故判ったかというと、ちょうどお友達のIさんがこの病院に6日から出産で入院していたそうだ。一度だけ私が放送で呼び出されたことがあった。それを聞いて電話したらしい。年賀状に「2人目が生まれます」と書いてあったので記憶をしていたが、無事出産。本当に良かった。しばし、病気の話や世間話をしながら親交を温めた。何時までも応援してくれる方々に心より感謝。「星に願いを」のオルゴールをいただいた。
 横のFさんと話しに花が咲いてしまった。Fサンは,人工透析から始まり、心臓、糖尿、挙げ句の果てに食道ガンと、がたがたの身体。でも精一杯生きている彼(58歳)の生きざまに乾杯。向かいのGさんと斜め向かいのJさんは術後のようだ。(アルファベットが足りなくなってきたのでこの後は気にしないで付き合ってください)
 夕方4時頃、Yさんがお見舞いに来てくれた。病気のこと、いろいろたくさん話をした。
 明日6時から、また畜尿。これは点滴がはずれるまでするそうだ。今日、職場の方々に近況を伝える手紙を出した。いよいよ手術が近い。これでわが肛門ともお別れか。

2月24日(日)晴れ 
どうしてここはこんなに良い天気が続くのだろう? やはり日本は長い。
 久々に日高五郎ショウを聞いている。とにかく暇なので、一日一日がただ無意味に過ぎて行っている気がする。月曜日には、シンチカメラ検査があるとのこと。入浴を日曜日に変えてもらおうか。朝の回診では、4人の医師が一人ひとりの患者さんとあっている。向かいのGさんとも、斜め向かいのJさんとも話をすることが出来た。やはりみんな寂しいんだ。

2月25日(日)
 段々と手術が近づいてきたので、書くエネルギーが別なところへ回っている。

2月26日(月)
 明日から下剤だそうだ。
 M先生もマックで私と同じマシーンのようだ。

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